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連載記事 午後の散歩道
山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.65

散歩道なりに平成を振り返る ~あの子たちはどうなった~

『午後の散歩道』に、ようこそ!
春の足音が聞こえてきても、まだまだ朝晩は冷え込みますね。
今こうして散歩道を見渡している私の足元も、靴下2重履きがマストです。

さて先月から(自主的に)お届けしている「平成を振り返るシリーズ」。
今回はなんと!ファッションで振り返っちゃおうかなァと思うのだが。

「えー。アンタに語られても、説得力ないわ~」
…と、ビタママ編集部Y子に突っ込まれるのも当然なくらい、私はごくフツーのファッションセンスの持ち主として、昭和から平成を生きてきた女の1人である。

そんな私が語れるのは、ファッションデザイナーが作り上げたわけじゃない、街のファッション。 この散歩道を行き来する人たちや、テレビやネット、雑誌で騒がれたアノ子たちのファッションのことだ。

さぁ、あなたも買い物帰りにちょっとだけここに立ち寄って、午後のラテでも飲みながら、井戸端話に花を咲かせましょ♪


表参道の姫ギャル。みんなお姫様になりたいのね~。
photo by rc! on Visual hunt

1.ヤマンバのその後

長いこと この散歩道を眺めていると、時の流れをヒシヒシと感じることがある。
ついこの間、アンパンマンのバギーに乗せられていた男の子が、黄色い帽子にランドセルを背負って学校へ通い、またしばらくすると、ぶかぶかの制服を着て中学に進学した姿を見かけたりする。

ルーズソックスにミニ丈の制服で 髪を茶髪に染めていた女の子は、やがて冬でも小麦色の肌に露出度の多い服を身にまとうようになったかと思うと、いつしか茶髪を真っ黒な髪に戻し、濃紺のリクルートスーツを着て就活に励んでいるではないか。
そしてふと気がつくと、その女の子が赤ちゃんを抱っこ紐で抱え、母親と仲良く買い物をしていたり……。

「アンタ……いったい何十年、そこに住んでるの!?」
ビタママ編集部Y子は、自分が私と同じトシだということを忘れているらしい。


いくつになっても、女は「メイク命!」

平成になった時、世間はまだ昭和のバブルを引きずっていた。
だからバブルに浮かれてフワフワと生きてきた私も、ファッションやヘアメイクに、それほどの違和感を抱くことなく、自分はまだ 時代の真ん中にいるんだ、と思って過ごしていた。

しかし平成も数年がたち、世の中にアムラーやコギャルやヤマンバみたいな少女たちが現れた時、
「私の時代は終わった……」と、思い知らされたのである。

昔、戦争が終わった後、学生運動やロックミュージックが時代を席巻したように、何か大きな出来事が起こった後、若者たちは大人が想像もつかないような変貌を遂げる。

バブルが弾けて、大きな会社が次々と倒産し、銀行の数が半分以下になった平成の序盤。その頃に生まれ育った子どもたちは、親の価値観や幸福感に影響を受けることなく、自分たちの進む道を自分たちの感覚で、探し始めたのかもしれない。

イヤそれにしても、あのガングロバリバリのギャルたちの異様なファッションだけは理解できない、と眉をひそめていた私にも、実はヤマンバの親戚がいた。


バブル時代のアイメイク。ヤマンバに比べれば、地味なものだ(笑)

Sちゃんは 私の母方の従姉の娘で、親の言うことをよく聞く、真面目でしっかりした女の子だった。その子が知らないうちに、ヤマンバに変身していたのである。

といっても、私は彼女のガチなヤマンバ姿を見たことがない。
親戚の集まりにやってきたSちゃんの髪は真っ黒で、着ていた洋服も、むしろお堅いぐらいの上品なワンピース。しかしよく見ると、伸ばした黒髪の裏側がうっすら白っぽい。
「その頭、どうしたの?」と聞くと、Sちゃんは苦笑いを浮かべ、
「ママに染めろって言われて、今日だけ染めた」と言う。
着ている服も「ママの服」で、
「アタシ、ホントはマンバなんだ~」とうるさ型の親族には聞こえないように、小声でカミングアウトしたのである。

「えぇ~ッ。知らなかった! うまく染めたねェ」
予想外の告白に驚きながらも、私はSちゃんの変身に興味が湧いた。
「じゃあ普段はあのメイクなの!? でも日焼けしてないね」
「あ、アタシ、白いほうのマンバなんで」
Sちゃんに教えられ、私はその時はじめて、ヤマンバにも白いほうと黒いほうがあることを知ったのである。
「そうなのよぉ。まさかこの子がこんなになるなんて、私もビックリ」
Sちゃんの母親である私の従姉は、昔からおっとりとした優しい性格で、自分の娘がヤマンバになったことにも動じず、生まれた時と変わらない愛情で、Sちゃんに接しているようだった。


まつ毛の長さはマネキンをしのぐ、ヤマンバメイク!
photo by Jeremy Brooks on Visualhunt.com

白ヤマンバのSちゃんは、その後 結婚と離婚を経験し、また再婚して、今では2人の子どものママとして日々 子育てに励んでいる。

従姉は「Sがいくつになっても頼りないから、私はなかなか楽隠居できないワ」
とこぼしていたけれど、親の愛情を受けて育ったSちゃんは、足の弱い伯母のために車の送迎をしたり、面倒見の良さは昔と変わらない。
平成のヤマンバを経由したSちゃんは、自分の人生を自分流に、一生懸命 歩んでいるのである。

2.あの人はどうなった

さて親戚の話はさておき、平成のファッションに話題を戻そう。

厚底ブーツにガングロメイクのコギャルたちが渋谷のセンター街を闊歩していた時、彼女たちと肩を並べてダラダラと歩いていたのは腰パンにスカル(ドクロ)のチェーンをぶら下げたギャル男たち。

私は基本的に、人が何を着てどんな事に夢中になろうが、悪いコトさえしなければ「別に構わない」と考えるタイプの人間だ。

しかし下着が見える位置までダブダブのパンツをズリ下げて穿く、あの腰パンだけはどうしても許容することができなかった。
それはたぶん、昔々、ロングヘアーにベルボトムのジーンズを履いたロックかぶれの若者に「みっともない!」と眉をひそめた大人たちと同じ感覚だ。

悪いコトさえしなければ構わない、と言っておきながら、私もまた常識にとらわれた、頭の固いオトナの1人になってしまったのである。

バンクーバー五輪が開催された2010年(平成22年)、私の心は キム・ヨナとの一騎打ちを前にした浅田真央ちゃんのことでいっぱいだった。
しかし世間では、五輪アスリートのファッションをめぐる、別の騒動が巻き起こっていた。

記憶にある方も多いであろう。それが、スノーボード ハーフパイプ日本代表・國母和弘(こくぼかずひろ)の『腰パン騒動』である。


腰パン男子のスノーボーダー。

日本代表ユニフォームのシャツの裾をだらりと出し、グレイのズボンを腰までズリ下げて穿いている、ドレッドヘアの國母選手は、「代表としての品位に欠ける」と非難され、さらにバンクーバーでの記者会見で、
「反省してま~す」と答えた後、
「チッうっせーな」とつぶやいたことで、マスコミから総攻撃を受けた。

その騒動をテレビで見た私は、不貞腐れた表情で薄笑いを浮かべる國母選手のことを
「あんな人が日本代表だなんて、スノボーの世界はどうなってるんだ」と憤慨したものである。

渦中の國母選手は、一時は五輪追放とまで騒がれたものの、日本代表選手団の橋本聖子団長の判断で出場が決定。しかし試合ではメダル候補といわれていた実力を発揮しきれず、8位入賞の成績で五輪会場を去った。

騒動の後、國母和弘は活動拠点をアメリカに移し、日本とは距離を置いて選手生活を続けているらしい。……というところで、私の記憶は終わっていた。


ドレッドヘアの人を見ると、私はプーリー犬を連想してしまう。。

それから7年たったある日のこと、私は たまたま見ていたテレビのドキュメント バラエティ番組で、彼の『その後』を知ったのである。

國母選手はバンクーバー後に開かれた国際大会で2年連続の優勝を果たし、その後は バックカントリーという自然の山肌を滑り降りるスタイルのスノーボーダーとして活躍。
彼のパフォーマンスを映像化したスノーボードムービーは、“スノーボード界のアカデミー賞”とも言われる「RIDERS POLL 20」で、MOVIE OF THE YEARに選ばれ、彼は2016年のRIDER OF THE YEARに選出されたのだという。

私も受賞した映像を見たのだが、切り立った崖のような斜面をで物凄いスピードで落ちるように滑る彼の姿に
「すっごーい!!」と息を飲んだ。

日本で「腰パンのお騒がせアスリート」と呼ばれていた彼は、その後 世界で最も有名なスノーボーダーとして知られる人物となっていたのである。

彼は現在、1年の大半を危険な雪山での撮影に費やし、わずかなオフの間だけ自宅に帰り、家族との時間を過ごしているという。

妻と二人の子どもがいる北海道の自宅は、彼が「自分で作った」というログハウス。
彼はオフの間、そこで畑仕事をし、子ども達の保育園の送り迎えをするイクメンパパになっていた。彼の右腕には、子どもが生まれた時の足型のタトゥが入っている。

子どもが生まれた記念にタトゥを入れる、しかもちっちゃな可愛い足型の、というのが、なんだかとっても彼らしい自分表現のような気がする。


イクメンパパは世界中どこでも、好感度バツグン!

ソチ・平昌五輪で銀メダルを獲得した平野歩夢選手は、「一番 尊敬する人は、カズくん(國母和弘)」と言っている。
國母は海外で挑戦する若手選手に対し、技術面のアドバイスのみならず、マネジメント会社やスポンサーを紹介するなど、選手が競技に集中できる環境作りを積極的にサポートしているそうだ。

腰パンと「チッ」の舌打ちで、日本中からバッシングされた國母和弘は、今、その世界で誰からも信頼され、尊敬される人物に成長していた。

ファッションは、その人の生き方を表す看板のようなもの。
平成の時代に突然現れたヤマンバや腰パンの若者たちも、それぞれのセンスと信念で、「これがカッコイイ!」と、その出で立ちになったのだ。

次の時代に、どんなファッションが生まれるのか、誰も想像することはできないけれど、出てきた彼らを、頭ごなしに否定せず、
「うわぁ、スゴイの出てきた」
と、面白がって受け容れる度量をもって生きていきたいと思う、3つの時代を生きてきたオトナとして。

最後にもう一つ、カズくんの話。
ソチ五輪前のニュース番組の特集で、取材を受けた國母と平野は、こんな会話を交わしていた。
「五輪で気をつけることある?」
「服装には気をつけろ」

いろんな騒動をくぐり抜けてきたカズくんの助言に、平野選手は
「そうっすね!」と明るくうなづいていた。


平成 vs 江戸。奇抜なのはどっちだ!!

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