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連載記事 午後の散歩道
山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.33

忘れられない舞台

『午後の散歩道』に、ようこそ!

I’m looking forward to the end of the rainy season.
(梅雨明けを心待ちにしています) 
暑いのも困るけど、ジメジメはもっとイヤ!とおっしゃるアナタ。
そんな方のために、散歩道の途中には、程よく冷房の効いた 劇場があるんですよ~♪

ということで、今回は私が愛するイケメンな俳優と凄腕な演出家のお話しをいたしましょう。

さぁ、開演のベルが鳴る♪

1. 竜也との出会い

竜也とは私の元カレ……じゃなく、若手実力派俳優の藤原 竜也のこと♡

「ふ~ん、アンタ、ああいうのが趣味なの?」
と含み笑いするビタママ編集部・Y子~! ドラマやキンチョーのCMしか見たことがないキミは知らないのだ、彼の本当の実力と魅力を~。
舞台でハムレットを演じる彼を観たら、きっとY子だって夢中になるに違いない。

私が竜也の舞台を初めて観たのは1998年 東京グローブ座でのこと。
題目は三島由紀夫の『卒塔婆小町』で、小町を演じる渡辺えり子が朗読劇風に演出。竜也は時空を超えて小町に翻弄される若き詩人の役だった。
黒いタートルネックのセーターとパンツ。質素な衣装でベンチの片隅に座る竜也は、前年『身毒丸(しんとくまる)』でデビューを果たしたばかりの、17才の少年だった。

「あら、ナニこの子。 出来るじゃない」
舞台の後、一緒に観に行った芝居好きの先輩・K子さんがつぶやいた。
「蜷川幸雄の秘蔵っ子って、この子だったのねぇ」
見交わすお互いの目のなかには、ハートの灯がともっていた。
姿かたちの可愛らしさだけじゃなく、17才の か細い身体全部で三島由紀夫を受け入れて、それをまた全部、舞台にさらけ出す覚悟と情熱を、K子さんと私は ビビーン!と感じてしまったのだ。
グローブ座からの帰り道、私達は、彼の『身毒丸』を観なかったことを心から悔やんだ。 以来、私は彼のすべての舞台を観ている。

本場Londonのグローブ座。一度は行ってみたい!

竜也は21才の時、渋谷のコクーン劇場で『ハムレット』を主演した。 「生きるべきか、死ぬべきか……」で有名な、あの難しそうなシェイクスピアの名作である。
演劇作品の最高峰、と言っても過言ではないお芝居だけに、今までハムレットを演じてきた俳優は、平幹次郎、渡辺謙、市村正親など、そうそうたる役者ばかり。
劇場のロビーには、この作品の演出家・蜷川幸雄本人の姿もあり、私達の気持ちは ますます盛り上がった。

「あ~、大丈夫かなぁ。 でもワクワクしちゃう!」
K子さんと私は、なかば甥を見守る叔母、なかば恋する乙女の気持ちで、竜也が挑むハムレットを観た。
舞台が始まると、劇場脇の通路から、衣装をまとった役者達が芝居をしながら通路を歩き、舞台へと上がっていく。
役者の緊張した気配と息遣いを間近に感じた瞬間、観客は蜷川幸雄が仕掛ける物語の世界へと没入していく。

藤原竜也は、21才の若さと情熱のすべてを注ぎ込み、ハムレットを演じきった。
父の弟に母と王位を奪われ、気鬱に任せて愛する妹を死に追いやった孤独な王子を、彼は繊細に、そして人の胸をえぐるような鋭さで演じた。

「ハァー、凄かった! なんか力が入らないよ~」
K子さんと私は 支え合うようにして、さっき竜也が歩いた通路を歩き、劇場を出たのだった。

私達はそれからも、竜也の舞台に足を運び、彼の演技に心を躍らせてきた。
でもK子さんは その間に病を得て、5年前に亡くなってしまった。
それから私は竜也の舞台を観に行く時は、必ずK子さんにもらったBabyGの腕時計をつけていく。

彩の国劇場で再演されたハムレット。竜也、渾身の演技☆

昨年1月、埼玉の彩の国劇場で 竜也のハムレットが再演された時、ライター仲間の親友Aは、
「あ。K子さんも一緒に観に来てるんだネ」と言って笑った。
この時のハムレットは、今年5月に亡くなった蜷川幸雄が藤原竜也とタッグを組んだ最後の舞台となった。

2. ありがとう・さようなら

今年5月に、日本を代表する演出家・蜷川幸雄が亡くなった。
その日 私は伊藤若冲の展覧会を観るため、上野の美術館の行列に並んでいた。ケータイのニュース速報がポロリン!と鳴り、私はその訃報を知った。
観劇仲間で親友のAにすぐメールすると、泣き顔マークの絵文字と共に、
「恐れていたことがついに来てしまった」と返信がきた。

K子さん亡き後、私は一緒に竜也を見守る仲間を求め、Aを竜也の舞台に誘った。
「まぁ、一度観てみてよ。惚れるから!」
そしてAはまんまと私の術中にはまり、竜也と蜷川演劇の虜となったのだった。

竜也の舞台だけじゃなく、Aと私は、今までたくさんの蜷川演劇を観てきた。
『ハムレット』や『お気に召すまま』などのシェイクスピア作品からカミユの『カリギュラ』、寺山修司の『身毒丸』、唐十郎の『盲導犬』井上ひさしの『ムサシ』、村上春樹の『海辺のカフカ』……数え上げたらキリがない。

『ムサシ』ロンドン公演 翌日の新聞。批評家がベタ褒めしている◎

私達の観劇スケジュールは、蜷川作品を中心に組まれていたと言っていいくらいだ。
一昨年の冬に「病で倒れた」という報道を聞いてからは、これが「最後の」上演作品になってしまうかもしれない、と案じる気持ちも相まった。

その昔、「役者に灰皿をぶつける演出家」として恐れられていた蜷川さんは、1935年生まれの80才。
演劇で政治体制や規定概念を批判するアングラ・小劇場の世界から、商業演劇に転じて以来、日本の演劇界のトップを守ってきた凄腕の演出家である。

彼が手掛ける作品は、シェイクスピアの恋愛喜劇を除けば、すべて人間の奥底にある憎悪や悲しみをさらけ出すような重~い作品ばかり。
でもそれを観終わった後、なぜか胸の底に、「どんなことがあっても生きるんだ!」というエネルギーが渦巻くような感覚になれるのである。

蜷川マジックに、もう一度かかりたい(涙)

蜷川さんはいつも「演劇は最初の3分が勝負」と言っていた。
その言葉通り、彼の演出は舞台や衣装、時代設定など、他の誰にも思いつかないような斬新さと細やかさで、冒頭から観客の心を鷲づかみにするパワーに満ちていた。

巨大な仏壇のなかから日本の戦国武士の出で立ちで登場する『マクベス』や、熱帯魚の水槽に閉じ込められた宮沢りえが虚ろな眼差しでこちらを見つめる『海辺のカフカ』など、今度はどんなものを見せてくれるのか、毎回ワクワクしながら開演を待ったものである。

亡くなる1年ほど前から、蜷川さんは車椅子で 酸素吸入を携帯しながら役者に稽古をつけてきた。
ダメ出しを受ける役者達も、これが最後になるかもしれない、と思いながら稽古を受けていたに違いない。
ドキュメント番組で、鼻に透明なチュープをさしながら、蜷川さんは「僕はもっと いい演出家になりたいんだ」と言っていた。本当に、命が続く限り、より良いもの、面白いもの、観客がアッと驚き、日常を忘れて夢中になるものを 追い求めてきた人なんだな、と思った。

蜷川幸雄の葬儀で、出棺に際し 棺を運んだのは、藤原竜也、小栗旬、綾野剛、松坂桃李、長谷川博己。 彼らは皆、蜷川さんに厳しく、愛情をもって育てられた俳優だ。

劇場に置かれた献花台。親友Aが連名で献花してくれました。

長女で写真家の蜷川実花さんは葬儀の挨拶で、
「本当に最後まで戦って、現役のまま駆け抜けた人生だったと思う」と言っていた。
棺には、これから演出するはずだった作品の台本も蜷川さんの傍らに納められたという。

私達もまだまだ、いっぱいあなたの作品を観たかった。
でもお別れの時が来てしまいました。劇場の観客席から、天国の蜷川さんに、
「ありがとう・さようなら」
って、スタンディング・オベーションします。

いつまでも忘れない、あなたの舞台。

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