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連載記事 午後の散歩道
山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.30

先生物語

『午後の散歩道』に、ようこそ!
春がやってきましたねぇ。 散歩道を行き来するワンコ達の足取りも軽やか♪ 連れて歩く人々の顔も嬉しそうに見える。
春は出会いの季節。 幼稚園や小学校の新入生をお持ちのママ達は、キッズ同様、期待と喜び、そして少しの不安で胸がいっぱいのことと思う。

午後の教室。木漏れ日がまぶしい。

新しい幼稚園や小学校で、ウチの子は皆と元気にやってゆけるだろうか?
新しい先生は、どんな感じの方なのか? できればイケメンで独身の若手教師がいい。
などとお考えのアナタ。 そんなアナタ自身にも、振り返ればたくさんの先生方との触れ合いがあったはず……。
ということで、今回は私が出会った先生のお話をしてみよう。

1. ゲンコツのI先生

それはそれは昔のこと。 アルバムに収めた写真はセピア色にもなれない完全な白黒、という時代に、私は真っ赤なランドセルを背負って小学生ライフを送っていた。
入学して最初の担任だったI先生は、年の頃は50前後のベテラン教師。 いつも作業着のような上下揃いの服を着ていたのを覚えている。

教室の窓ガラスがビーンと共鳴するぐらい大きな声で授業をし、聞き分けの悪い子がいると、「コラァ~!」と一喝して、その子の頭のてっぺんをゲンコツでグリリッと押さえ、本当に悪いことをした子はゲンコツでポカッ!と殴られる。
どんな悪さをしたのか忘れたが、I先生のゲンコツのグリグリとポカッ!の感触は、このトシになっても私の頭のてっぺんが覚えている。
今なら確実に体罰教師として問題視されちゃうんだろうなぁ。 でも私が覚えている限り、ゲンコツで殴られて病院へ行った子はいないし、PTAで問題になったという話も聞かなかった。

授業中は おしゃべりしちゃダメ!

話は少しそれるが、私の記憶力を線グラフで表すと、小学校の低学年が山の頂点で、その後は富士山の輪郭のようにきれいな下降線を描き、今では東京湾の海抜にせまるところまで下がってしまった(泣)
つまりI先生の生徒だった時代、私の記憶力はピッカピカに輝いていたのである。
それはどの程度かというと、国語の教科書に書かれている文章を、始めから終わりまで全部覚えてスラスラと暗唱できるぐらいの記憶力だった。

I先生は面白がって 私に「逆から言ってごらん」と言い、私がそれを突っかえもせずに暗唱すると、「りかちゃんはすごいねぇ」と褒めてくれた。 I先生は、その記憶力を磨いて高みを目指せ、などと言わず、野に置いたまま愛でてくれたのである。
今や海抜Oメートル付近をさまよう記憶力で、必死になって英単語を覚えようとしている私を支えてくれるのは、あの時I先生が言ってくれた ひと言だ。

どこまでも落ちてゆく私の記憶力 (涙)

I先生は、いつか校長先生になるにちがいない。 こまっしゃくれた少女だった私は、そう見込んでいたのだが、母に言うと、
「う~ん、それはどうかなぁ」 うやむやな答えが返ってきた。
当時の私は、ママは見る目がないんだ、と思っていたのだが、大人になって、母の発言の意味がわかった。
I先生は生徒にはとっても良い教師だったのだが、実は酒乱、という一面があり、PTAの打ち上げで会長のおじさんに絡み、大変な騒ぎになったことがあったそうだ。

しかしI先生は私が卒業してからしばらくして養護学校の校長になり、亡くなった時にはたくさんの生徒達が葬儀に参列したということだ。
私はそのことを、PTAだった親御さんと長年 年賀状を交わしていた母から聞いた。

2. 青春教師 Nセン

東京で生まれ育った私は、中学3年生になる時、横浜へ引っ越した。
新しい学校はその年の春に出来たばかりの新設校で、私達3年生は その中学校の第1期卒業生となった。
クラスは学年で2クラス。 そこには優等生から、私のように小生意気な女子生徒、なかには前の学校で「番を張ってた」特攻服みたいなガクランを着た闘争系男子まで、実に様々なタイプの生徒がいた。
まるで檻 (オリ) のない動物園のような生徒達を、「オラオラ、おメェら~!」と束ねていたのが、若手体育教師のN先生、愛称Nセンである。

Nセンは当時24才で髪はオールバック。 『成り上がり』時代の永ちゃんのような風貌で、動物園の猛獣の扱いにも長けた、学校では貴重なキャラクターの先生だった。
生意気な私は友達みたいに、
「Nセン、彼女いないの?」
「いるに決まってんだろ」 なんて会話を交わしたものだ。

学校の制服、懐かしいナ。 あ、コレは私のじゃありません!

進学する高校が決まり、卒業式を控えたある日の夕方、ヒマを持て余していた私は、校庭にいたNセンに
「何やってんの?」 と声をかけてみた。
足元に転がっていたサッカーボールを、Nセンに向かってコロコロと蹴ると、
「なんだよヒマ人。早く帰れよぉ」
Nセンはそう言いながらもサッカーボールを私に向かってコロコロと蹴り返す。
「だって試験も終わっちゃったしさ~」
「いいよなぁ山田は。 気楽な身分でよぉ」
「まぁね~」

日が落ちて、暗く静まり返った校庭で、コロコロとサッカーボールを蹴り合いながら、暢気な会話を続けていたら、Nセンが急に
「オレさ、まだ結婚したくないんだけど、カノジョはしたいって言うんだよなぁ」
何を思ったか、ガチでプライベートな話を始めたのだった。

「え~。 大変じゃん。 カノジョって何才?」
そう。 私は当時から、オトナとそんな話もできる耳年増だったのだ。
Nセンは、猛獣どもには決して見せない独身男子の心の苦悩を私に打ち明け、
「実は これからここに来るんだよね、カノジョ」
「あ~、それたぶん、別れ話になっちゃうな~」
まるでスナックのママのようにわかったような口を聞くと、
「だよなぁ~」 出世を逃したサラリーマンのように、しょんぼりと肩をすぼめた。

そのままNセンとスナックトークを続けていると、校庭に面したバス停に横浜市営バスが停まり、車が走り去ると ほっそりした女性らしきシルエットが見えた。
「あ。来た!」
Nセンはシルエットを確認すると、私に「じゃあな」のひと言も告げず、バス停に向かって駆け出した。
校庭に残された私は、サッカーボールをのろくさと回収し、「オトコもいろいろ大変なのね」と溜め息をついたのだった。

こんな所に一人、取り残された私…。

その後、Nセンがカノジョとヨリを戻したのか別れたのかはわからない。
驚いたのは、それから5年後、Nセンが私の同級生だったOちゃんと結婚する、というニュースを聞いた時だ。
「いったい全体、どういうコト!?」
Oちゃんとも親しいクラスメイトの情報によると、Nセンは、Oちゃんが18才になるのを待って付き合い始めた。 だからオレは教師の道を外れてない!と力説していたという。
私はOちゃんとNセンの幸せを祝福しながら、「オトコって なんなんだ?」と答えの出ない問いを、心のなかで つぶやいたのだった。

3. いいじゃないか、人間だもの

ここまで書いてきて、いろんな先生のことを思い出した。
授業中に私語を止めなかった私を、「この、お喋り娘~ッ!」と一喝した化学の愛称・魔女リカ。
第二次世界大戦中は陸軍将校で、戦犯になったという噂の倫理社会の先生・ツル倫社。
保健体育の授業中に、ゲイの方々のメイク・ラブの方法を詳しく教えてくれたM先生。
雪の日には、担任だったN先生に、クラス全員で雪玉をぶつけたりもした。 今、考えると、私達は なんと恐ろしい生徒だったことだろう。

世界中の学校で子ども達が学んでいる。 学校を守るのは大人の仕事!

私は、時に迷える子羊、時に悪魔のようなモンスターになり、それぞれの先生と それぞれの時間を過ごし、大人になった。

私は昔も今も、自分の人生は 不器用ながらも 自分で切り拓いてきたと思っている。
自分の人生を根底から変えるような先生との出会いは、なかったように思う。
それでも、こうして思い起こしてみると、実に様々なタイプの先生が、笑いながら怒りながら、ヒヨコのような私達生徒を 見守ってくれていたんだなぁ、と有り難い気持ちになってくる。

散歩道を行き交うママ達にも、きっとこんな経験があるに違いない。

いろんな先生、いろんな友達と同じ時間を共有しながら、子ども達は育っていく。
親の目の届かないところで、子ども達はそれぞれに、社会のことを学んでいる。

また学生に逆戻りするとは、夢にも思わなかった…。

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