國學院大學人間開発学部による「子育てエッセー」
教育が抱えるさまざまな問題と向き合いながら、子どもたちの健やかな成長を考えます。

2017年 No.04 武道の心が、子どもを育む

武道の教えは「争わない」こと

 武道というと、武力とか武器とか、物騒なイメージがあるかもしれませんが、実は「武」の字の成り立ちには「戈(ほこ)を止める」、つまり「武器を使わない、争わない」という解釈があります。稽古によって鍛えられ真に心身が強くなれば、もはや争う必要はなく、むしろ他者に優しくなれる、と考えるのです。武道の稽古は、互いを尊重し共に協力し高め合う関係を構築してくれます。つまり相手は、打ちのめすべき敵ではなく自身を磨いてくれる大切なパートナーでもあります。稽古で心身を鍛え磨くことで、本当の強さを身に付け、人と争わない優しい人間になる、それこそが武道の心といえるでしょう。

ちょっとした不便さが、
感謝の心を磨く

 大学で剣道を教えていると、最近紐をしっかり結べない学生が増えていることに気がつきます。特に頭の後ろの面紐、腰の後ろの胴紐が結べません。紐結びなどしなくても、バックルやマジックテープで簡単に固定できることに慣れているからでしょうか。また剣道袴の帯を十分に締めることができず、稽古中に袴がずり落ちてくる者も少なからずいます。緩んだり、解けたりすると、場合によっては事故を招き自分の身を危険に晒しかねません。一つ一つの紐結びは、事に臨む身繕いの大切さを否応なく意識させてくれます。不便だけれど道具は大切に扱う、それはその道具を使う自分自身を大切にすることに繋がるという自覚があれば、道具にはもちろんのこと、自分に関わるあらゆるものに感謝する心の大切さを理解できるでしょう。

「先生は、いつも私より少しだけ強かった」

(師弟同行…師弟が共に学びあうこと)
 ある剣道の先生から伺った話です。「小学生の時、もう少しで先生を打てると思った。よし、中学生になったら先生を打てるぞ。中学生の時も、あと少しで打てそうだった。高校生になれば必ず勝てる。高校生になっても、やはり先生は打てなかった。その時初めて気付いた。先生は私を伸ばすために、いつも私のちょっと上の位で、稽古をつけてくださったのだと」。剣道は、同じ道場の中で老若男女問わず稽古をするのが普通です。高齢でも若者を寄せつけない猛者も多くいます。剣道は、何歳からでも、何歳になっても稽古ができます。だからこそ、先生は生徒と同じ稽古場に立ち、自ら向上を目指すことで、生徒の範となるよう努めます。家庭という「道場」においても、日常生活という「稽古」のなかで、師弟同行ならぬ親子同行から、子どもを伸ばすことを心掛けたいものです。

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