山田りかのハートフルエッセイ

プロフィール:某酒類メーカーに勤務するかたわら、ママ達の日々の暮らしを見つめる勤労作家。年齢不詳。いくつになっても、竜也の前では乙女です。

No.54 Englishな日々~Season 1~

『午後の散歩道』に、ようこそ!
寒い寒い冬が終わり、ようやく緑輝く季節がやってきました♪
“Year, spring has come!!”
ディズニー映画のちいさな動物達が、この散歩道のそこかしこから顔を出し、陽気に春の訪れを唄っている気がする。
ところで皆さんは、この”spring has come”の時制が現在完了形なのだと、知っていただろうか。
“has”はhaveの三単現の複数形で、”come”はcomeの過去分詞、come-came-comeのcome。
「うわぁ、英文法なんて ヤメテヤメテ! ウキウキ気分が台無しになっちゃうじゃない!!」
そう言って耳を塞ぐ人も多いのではないかと思う。私だって少し前まで「英文法」と聞いただけで、反射的に( 面倒クサイ(-_-) )と思う側の人間だったのである。
そんな私が、ある日突然
「会社辞めて 英語勉強するわ」と告げた時、周囲の人々はみな、口をあんぐり開けて、
「えっ。 ……なんで?」と呆れたのも、当然の反応だったと思う。
「なにも会社辞めなくたって、英語の勉強なんて、働きながらだって出来るじゃない」
私の将来を思って、そんな助言をしてくれる人もいたけれど、私は何かの運命に導かれるように長年働いた会社に別れを告げ、英語修業の旅へと出発した。
今からちょうど3年前の、春のことだった。


突然目指した、英語修行の日々   photo by Thomas Hawk on Visual Hunt

ということで今回は、包み隠さずさらけ出そう、「このトシで英語を始めるって、こんな感じ」
さぁ、いったいどうなる、私!?

1.いつやるの?……今でしょ!

私が英語の勉強を始めたきっかけは、派遣法の改正による契約形態の変化だ。

派遣社員として在籍していた会社は、私が元々新卒で就職し、正社員として働いていたところ。昔馴染みの同期や先輩、出世した仲良しの上司などもいて、とても居心地のよい職場環境だった。長年の経験を活かした仕事、ということで、ありがたいことに時給面でも優遇されてきた。

しかし先に述べた法律により、私の雇用形態は、派遣会社を通さない直接雇用となり、提示された条件は今まで通りとはいかない、厳しいものだった。

(そんな、ヒドイ……)
心地よく浸かっていたぬるま湯が、突然冷たい氷水に入れ替わったような気分。
その日はライター仲間の親友Aと夕食の約束をしていたため、とにかく仕事を片付けて、横浜から待ち合わせの池袋へと向かった。

(ああ、どうしよう。どうする私!?)
電車のなかで、ぐるぐると渦巻く将来への不安。
生活は苦しくなるけど、このまま条件を受け入れて会社に残れば、当面は安定した生活が送れる。でも、それもなんだかすごく悔しい!!

そんな時、頭の上のほうから『英語』というWordがスコーンと下りてきたのだった。
何を隠そう、私の母校は『花子とアン』のモデルになった翻訳家・村岡花子が出た学校。そこで英語を学んだものの、日系企業に就職した私は、英語とはまったく無縁の生活を送ってきた。
しかし兄がハワイに住む日系アメリカ人と結婚したおかげで、私には英語ネイティヴな親戚が出来た。
愛する姪や甥と、いつか英語でコミュニケーションをとりたい。英ペラなバイリンガルウーマンになってみたい!
でもそれはこの先の「いつか」で、今じゃない。
大変なことはなるべく先延ばしにしたい、グータラな性格の私は、ずっとそんなふうに思って生きてきたのである。


英語ができれば、地球のどこへでも行ける!

その「いつか」が、ついにやってきたのか?
いつやるの?……「今でしょ!」

池袋に向かう湘南新宿ラインの車内で、私はスマホを取り出し、
「英語学校 スパルタ」という検索ワードを入れてみた。

「私、会社辞めて 英語勉強することにした」
池袋の南欧レストランで開口一番、私はAにそう告げた。

「えっ。 ……なんで?」
メニューから顔を上げ、口をあんぐり開けたAの顔を、今も覚えている。

2.あなたのレベルは『中学英語』

困惑する親友Aに、突然湧きあがった熱い思いをぶちまけながら、私は カーブを切って脇道に入っていく自分の車を俯瞰(ふかん・上から全体を眺める)している気がしたものだ。

がしかし、カーブを切り、入っていったその先は、ぬかるみとデコボコ満載の険しいジャングルロードだった。

退社する前に入学を決めた学校は、
「英語学校 スパルタ」という検索ワードで1番最初に出てきた新宿のN英語学院。
真っ黒な背景のホームページに、

「真剣に学習する人のみ 募集」

と墨文字で大きく書いてある。添え書きには
「できなければできるまで、授業時間外でも、親身の徹底指導」とある。


このトシになって、突然芽生えた学習意欲。

普段の私なら、「何コレ。ヤバ過ぎ!」とつぶやき、閉じてしまう類いのサイト。
でも「絶対やってやる!!」と頭に血が上っていた当時の私は
(これぞ私の求めている学校だ!)と即決し、翌週には会社を休んで学院へ出向き、入学のためのレベルチェックを受けた。

N学院は西新宿の裏手にある古いビルが本拠地で、私はその中の一室に通され、簡単な日本文を英文に訳すペーパーテストと、同じように言われた日本語の会話を英語で話す口頭テストを受けた。

「学生時代に習った英語は、だいぶ忘れちゃってますね。
山田さんの英語は、中学生レベル。5W1Hから始めましょう」

簡単な英文も訳せず、平凡な会話にも絶句し、敗北感でヘトヘトになった私を見て、担当講師は
「まぁ、だいたい皆さん、最初はそんなものですよ」と笑った。
「はぁ」肩を落として俯く私に、彼は続けてこう付け加えた。

「数学や物理、スポーツや芸術には、生まれ持った才能や能力が必要。でも語学だけは、やればやっただけ、絶対に成果が表れる分野ですよ。努力は必ず報われる、それが英語学習なんです」

その時の私にとって、講師の言葉は、真っ暗闇の海から見える、灯台の光だった。
もう、他に進む道はナイ。
退路を断って会社を辞めたのは、それからひと月後。3年前の3月だ。

ちなみに私と同じように、すっかり英語を忘れちゃったという読者のために5W1Hとは何かというと、
1.When(いつ) 2.Where(どこで) 3.What(何を) 4.Why(なぜ) 5.How(どのように)
という、人に何かを伝えるための、もっとも基本的な英語の要素のことである。


まさかここまで英語を忘れていたとは…!

3.“I am Lillian.” 「私はリリアン」

「ガンバレよ! 」と花束をもらって会社を後にし、大きな野望とドス黒い不安を抱え、N学院に入学したのは4月の半ば。

若いイケメンの講師Iに案内された教室は、本館の近くにあるトイレもない薄暗い貸しビルの、細長く窓のない狭い部屋。
突き当りの講師席を中心に、コの字型に並べられたパイプ椅子には、「中学生レベル」の生徒が10人余り、ズラリと向き合って顔を並べている。
パイプ椅子の右肘には折り畳み式の小さな板が付いており、机はない。付属の板は、授業前に手渡された分厚いA4サイズのバインダー型テキストが、やっと置けるだけの大きさだ。

「English Nameは決めてきましたか?」
英語学校では「あるある」のネタであるが、生徒は自分で英語の名前を付け、レッスン中は恥ずかしげもなく、「ボブ」「グレイス」と呼び合う決まりになっているのだ。
私は2013年の全米で人気の女の子の名前ベスト20から、本名に近い名前を選んだ。

「名前はえーと、Lillianで……」
「OK! それでは宿題チェックから始めましょう。時計回りでローラから。
誕生日はいつですか」
「When is your birthday?」
「Right! 9月12日です。ジェニー?」
「It’s Septmber 12.」
「この前の母の日はいつでしたか」
「When was last Mother’s day?」
「5月10日です」
「It was May 10.」

テキストには、日本語しか書かれていない。それを講師が読み上げると、生徒は即座に同じ文を英語で言う。
宿題チェックは、前の授業で習った英語の構文を、英語を見ずに暗唱していく、というものだった。 そのやり取りの速さといったら、進学塾の特待コースか軍隊のスパルタ訓練、と思っていただけるとちょうどいい感じである。

宿題はそれだけじゃなく、英単語30ワードに英語表現10文、動詞の3変化10語などがあり、すべての答えは口頭で、少しでも口ごもれば、容赦なく講師に「Next!(次の人!)」と切り捨てられる。


学校のテキストとノート。宿題は毎回 山盛り(>_<)!!

この学院の授業は、日本人講師による英文法クラスと、英語ネイティヴの外国人講師によるクラスが1セットになっている。日本人講師のクラスは1コマ3時間、外国人クラスは2時間で、それぞれ毎回たっぷりの宿題を渡される。

学院側の説明によると、この1セットの授業についていくためには毎日3時間の学習が必要。それを私は2セット取り、更に「その先を目指す」生徒のために用意されている、『 特別課題 』、という超ハードな学習コースにも挑戦した。

『 特別課題 』は、通常の授業とは別に、例えば英検1級を目指す人、TOEIC900点以上を目指す人など、高い目標にチャレンジする人向けに、参考書や教材を与え、ステップごとにテストを課し、前へ進ませるというものなのだが、その1ステップずつの課題が尋常でない内容なのである。

1. 授業で使用する333の英語表現を1週間で覚える
2. 英単語750個を、類語だけ見て1個1秒の速度で全部言う
3. 26章ある参考書をひと月で習得し、テストで90点以上取る
4. 自分のことを、何でもいいから英語で丸3時間、喋り通す。

ちょっと並べただけで、この『特別課題』がいかにクレイジーなものか、理解していただけたと思うが、こんなのはほんの序の口。
課題はステップに応じて難易度が高くなり、最終ステップをコンプリートした人は、英字新聞をスラスラ読み、NHKの英語ニュースを難なく理解できるまでになるという。

今までの私なら絶対に拒否したであろうそれらの課題を、英語にEnthusiastic ( 熱狂的な・イッちゃってる )な私は、迷うことなく選択し、

「やってやろうじゃないの!!」と

暗雲渦巻く荒海のなかへ飛び込んでいったのである。


家のそこらじゅうに貼られたポストイットの英単語(今もある)

それから私は 週に4日学校に通いながら、毎日13時間以上、勉強をした。
学校へ行く前に2時間、宿題のための口頭練習をし、往復の通学時間も口をモゴモゴさせながら英文をつぶやく。3時間の授業を終えると一目散に帰宅し、着替えを済ませたら夕方6時から夜10時までは復習タイム。 夕食の後は明け方まで、特別課題の勉強をする。

春から秋にかけての夜明けは早い。
夜2時半を過ぎる頃、近所のカラスがカァカァと起きだし、3時過ぎには新聞配達のバイクがグィーン、キキッと朝刊を配り回る。そしてチュンチュンと小鳥のさえずりが聞こえてくると、窓の外は明るく白み始める。

睡眠時間は平均3時間。ちっとも眠くならなかった。
眠っている間も、習った構文がぐるぐると頭を回っていた。

過去の人生において、これほど何かに打ち込んだことがあっただろうか。イヤ、ない。
自分がこんなに勉強熱心になろうとは、想像したこともなかった。

そして私は5か月後、バッタリ倒れた。

「ちょっとォ、散歩道はお気楽に読めるエッセイじゃなかったの?」
とビタママ編集部にクレームが入るかもしれないが、ここでページが尽きてしまった。

この続きは次回まで。
いいトシをして無謀な挑戦をした女・Lillianの運命はいかに!?

To be continued, Don’t miss it!!

イラスト あの頃の1日
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